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宗教の話

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  • このトピックには3件の返信、1人の参加者があり、最後に5月28日のとある書き込みに貴方に返信を頂いた私の感傷により1年、 8ヶ月前に更新されました。
3件の返信スレッドを表示中
  • 投稿者
    投稿
    • #41616 返信
      みんあ
      参加者

      私には、どの宗教にも当てはまらない私なりの死生観があるから、今更何か宗教を信じることはしないけど

      「信じるものは救われる」とは、あの言葉は、真理だと思う

      キリスト教でも、仏教でも

      信じれば、すべての罪は許されて、死後その信じた世界へ行けるのだから、生きるのが辛くならない
      たとえ仏になれなくたって、修行を重ねて徳を積んだ人生は、無駄じゃないと思えるだろう

      生きている間のモチベーションになるのも確かだ
      死ぬまでに神に奉仕をすることで、死後楽園に行くことができ、永久に幸せに暮らせる
      死ぬまでに徳を積み上げることで、死後仏になることができ、一切の苦しみがない場所へ行ける
      そのためなら生き続けられる、といった風に

      一つの救いを信じて、そのために生き続けられる
      贖罪でも、修行でも、大して変わらない
      他の宗教や、たとえ無宗教でも、何かしらの生きていく理由、信じられる何かはある

      生きることとは、生きていることの意味を、たった一つの救いを、信じることではないだろうか?
      それが、私なりの死生観だ

      みなさんはどう思うだろうか?
      このあと私は眠ってしまうが
      ぜひ意見を聞きたい

    • #41617 返信
      みんあ
      参加者

      そういえば、小説の中で、宗教家の登場人物が、面白いことを言っていた

      「誰も、太陽が東から昇ってくると信じてはいません。知っているだけです。疑わしい、でもあってほしいから信じるんじゃないでしょうか」、とのこと。すごく感銘を受けたのを覚えている

      ちなみに、このセリフがある、ヰ坂暁さんの「僕は天国に行けない」という小説。私の愛読書です。ストーリーやメッセージ性もすごく好きで、私がかなり影響を受けた作品なので、もし良ければ読んでみてください。

    • #42020 返信
      5月28日のとある書き込みに貴方に返信を頂いた私の感傷
      ゲスト

      貴方のお書きになりました、
      主旨とは関係ないかもしれませんが。

      少し以前の、とある5月28日。
      特に誰からも返信もらえるつもりなんかなくて、
      ただ、謎レスする誰かへの違和感を一言、

      って、自分がしたら。

      第三者の貴方様は、自分に義理も責任もないのに、
      そんな自分にフォローレスしてくださいました。

      それをみた刹那。
      利己的な感情ですが。
      私は貴方のレスに、ある種の救いを感じさせて頂きました。
      それをみた刹那。

      関係ないかもしれませんが、
      こちらの文を読んで、
      ふと、その時の事を思い出しました。

      利己的で冷淡な私は、そこに結果論的な恒常性は感じていませんが、
      刹那的優しさは享受させて頂きました。

      あの時は、有難う御座います

      一瞬だけ読んで下されば、
      後は忘れて下されば幸いです。
      自分にも貴方にも、重いのはつらいので。

      泡沫の夢と思って頂ければ幸いにて。

    • #42021 返信
      5月28日のとある書き込みに貴方に返信を頂いた私の感傷
      ゲスト

      失礼しました、
      5月28日は私の書き込み日時でなく、
      貴方から返信を頂いた日時です。
      訂正します。

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