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wasinton参加者
「会話法」についての書籍はよく書店に並んでおり、多くの社会人に向け発信されています。そして、少なくない数の社会人がそれらの書籍から知識を得ようとします。まるで「雑談のできない奴はカスだ」という世界があるかのような需給の在り方です。
ところが世の中には、わざわざ文庫本で買わせるのではなく無償で今すぐにでも啓蒙していくべき「会話法」「会話のマナー」が存在します。「ダブルバインドはやめよう」というメッセージもその一つです。
ダブルバインドは相手の自己肯定感を下げ、精神疾患の原因にもなる悪魔の論法です。特に上司・先輩・教師・親といった目上からの被害が多く、パワハラの常套手段としても頻繁に挙がっている程です。言われる側の対処法はたまに聞かれますが、言う側に出来ることはかなり少なく、「クチャラーを直させる」のと同じくらいの難題といえるでしょう。
ダブルバインドとは「ダブルバインド(二重拘束)」の概念は、1956年に人類学者のグレゴリー・ベイトソンが言及したのが始まりで、元々は別の学説を提唱しているときに造語として生み出したのだそうです。
「二者以上の間で」
「第一の命令と、それに矛盾する第二の命令があって」
「どちらに従っても罰されて」
「その矛盾した環境が繰り返し続く」
以上がダブルバインドの起きている状況となります。これは具体例を挙げた方が分かりやすいでしょう。
「分からないことがあれば何でも質問してくれ」と言っていたのが、いざ質問すると「そんなくだらない質問をするな、自分で考えろ!」とキレる上司がよく挙がる具体例です。こういう手合いに限って質問を避けると「なぜ相談しないんだ!」とキレるので、どう接すればいいか分かりません。
何をやってもキレるような人との付き合いが続くと、自己肯定感は地に落ちて感情を抑え込んだり自分の意思を出さなくなったりします。言われた方としては「何が正しいのか分からない」「自分の判断に自信が持てなくなった」と強烈なストレスとなり、慢性化すれば精神疾患に結びつくことさえあります。
二者関係でも「この人には何を言っても無駄」と内心諦められたり、終始相手の機嫌をうかがうようになったりと、見る人が見れば一刻でも早く隔離した方がいい関係性が確立してしまいます。
注目すべきは、親から子へ・教師から生徒へ・上司から部下へ・先輩から後輩へ等、上から下への関係性によく見られることです。相手を思い通りにコントロールしたいとき無意識にでも出てしまうのも特徴といえるでしょう。目下や対等からのダブルバインドは比較的簡単に振り払えるので、一方的に逃げられない関係性も重要な要素です。
メリット皆無ダブルバインドがもたらす悪影響は以上のとおりです。その一方で、「どちらを選んでもキレるのではなく、どちらを選んでもプラスになるようにすれば、精神医療ですら役立つようになる」という逆転の発想を説いたのが、現代催眠療法の父であるミルトン・エリクソンです。また、彼の用法は「エリクソニアン・ダブルバインド」と呼ばれます。
ミルトン・エリクソンは1957年にアメリカ臨床催眠学会を創立した精神科医で、臨機応変を重んじる彼の精神医療は常に前衛的で斬新だったといわれています。しかし、矛盾する複数の命令を「どれでも得」と思わせるのはコミュニケーションとして高度すぎますし、建設的な影響を毎回示せるとも限りません。
「エリクソニアン・ダブルバインド」をとても使いこなせないであろう素人が無理にメリットを説こうとすれば、たちまち的外れでちぐはぐな擁護となります。その一例を紹介したいと思います。
「うまく活用すれば相手の選択肢を絞って、判断をコントロールできる可能性があります。本来は数多くの選択肢がある判断に際して、選択肢を敢えて絞って質問することで意図に沿った選択をさせやすくなるのです」
これは社会心理学における小技の一つ「誤前提暗示」でもあり、例えば「水道の修理をA社とB社どちらに依頼する?」と聞いてどちらかを選ばせるような効果が期待されています。しかし、より安く済む業者を相手が知っていればどちらも選びませんよね。選択肢で縛ろうにも知識量や他の要因で振り切られては意味がありません。選択肢それぞれに魅力も必要です。
他にも「広告や営業で使える」と活用法を挙げている所もありますが、ダブルバインドの問題点が目上から目下の関係性でよく起こることをすっ飛ばした暴論に過ぎません。対等な関係ならば、おかしい選択肢を拒否して潰すことは比較的容易なはずです。
なお、エリクソン自身はどう活用していたのかというと、治療に非積極的な患者へ「こちらへ来たくないならその場で話してもいいですし、座りたくなったらこちらへ来て座ってもいいですよ」と声掛けをしていたのだそうです。
かなり意識しないとやめられないダブルバインドによる不健全な関係性を改善するには、言う側が意識してやめていかないと根本的な解決にはなりません。しかし実際のところは本人に自覚させることすら難しく、周囲が避けていくしかありません。ものを食べるたびに大きな咀嚼音を立てる「クチャラー」に通じる悩みです。
ダブルバインドをかける側に対して行えるのは「自分の言動を意識し、発言に責任を持とう!」などと交通標語の如き空虚な声掛け程度のものです。周囲で見ている人が注意してやれれば幾らか反省に繋がりやすいのでしょうが、その場で一番偉い上司へ注意できるほど肝が据わった人間は稀です。
そもそも「相手に想定外のことをさせたくない」と無意識化でもやってしまうのがダブルバインドの厄介なところです。「自分で気づくことへ賭けるしかないが、それすらも望めない」というどうしようもない歯痒さは、実にクチャラーと似ていますね。
それでも、精神疾患に繋がりかねない悪いコミュニケーションは止めていかねばなりません。精神疾患を持つ人に対して社会が受容できるのであれば、放置してもいいのでしょうけれども。参照: https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=2362
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