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虐待育ちのぼやき

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      さくら
      ゲスト

      母親は、いわゆる毒親だった。小学3年生ぐらいから、中学卒業まで肉体的・精神的に虐待を受けた。

      漫画は禁止だった。テレビも、かなり制限されていた。交友関係にも口を出された。

      私を産んだから不幸なんだと、何度も泣かれた。私のテストの点数に怒り、殴り、蹴られ、叩かれるのは日常茶飯事だった。

      物を投げつけられ、電子タブレットを水没させるように要求したり、私が大事にしてるぬいぐるみを燃やすふりをしては、私の反応を見て楽しんでいた。

      母親にされたことを書いた日記は、ごみ箱に破り捨てられていた。心中しようと言われ、ベランダに連れ出されたこともあった。

      私に包丁を向けたこともあった。

      私は抜毛症に長年苦しんだ。高校に入ってからは、ストレス性の軽い難聴にもなった。

      相談できるのは、ネットの人だけだった。

      母親は私を愛していた。でも、恨んでいた。愛と憎しみは紙一重なのかもしれない。

      愛を知らない。愛し方もよく分からない。

      誰からも好かれない。きっと、これからもそれは変わらない。

      仮に結婚しても、子どもは持てない。発達障害の可能性があるからだ。理由は、それだけではない。

      自分が手をあげることが恐ろしい。穢れた血が、この世に残されるのが恐ろしい。

      生まれてきて良かったなんて、一度も思ったことは無い。

      母親に殴られない今、不安がある。殴られない安心感なんてない。いつ、また暴力が始まるかなんてわからない。

      それに、昔は暴力が愛だと思っていたから、殴られない今、私は愛されていないんだろうと感じる。

      辛い、ずっと虚しい。愛されたい。幸せになりたい。

      1人でいても、母の声が聞こえる。常に、私を苦しめる。逃げられないと、感じる。

      私はいつになったら自由になれるのだろう。

      私が転んだ時、けがをしたとき、母親は私を責めた。手をあげることもあった。

      だから、人前でけがをしたとき、「大丈夫?」と聞く人の存在に驚いた。私は謝らなくてもいいのか、私を殴らないのか、叩かないのかと。

      この先は頑張って稼いで、苦しい境遇にいる人を助けたい。メサイア・コンプレックスでも、偽善でもなんでもいい。

      包丁を向けられた時、生きたいと思った。包丁による痛みが怖いのか、死が怖かったのかは分からない。でも、確かに生を渇望したのだ。

      神様の気まぐれなのかもしれない。何とか生き延びることができ、今に至る。

      前みたいに、母親から暴力を受けることは無い。時々、嫌みは言われるし、口うるさいけれど。

      母親も、母親の父親から虐待されていたことを知った。それを知り、悲しみと怒りのどちらも感じた。

      彼女がしたこと、それは許されない。けれど、彼女だってずっと酷い人ではなかった。私を愛してくれた時もあった。

      父親が単身赴任で家にいない分、彼女は1人でよく頑張っていた。

      父が家にいた頃も、決して育児には協力しなかったし、何かと要求の多い人だったから手を焼いていた。

      母は生まれたころからほぼ一人で私を育ててきた。そんなこと私にはできない。彼女だって、最初は虐待するつもりはなかった。

      でも、上手く向き合えなかったのだろう。父が勤めていた会社が大震災で倒産。私が小学生の時に父は無職になってしまい、母は貯金を切り崩した。

      そして、私が小学1年の時に単身赴任。父の両親と同居し、誰からも助けてもらえることなく、ずっと闘ってきたのだろう。

      だから、もういいと思っている。過去のことは水には流せないけれど、これ以上は貴方を責めない。

      赦すわけではないけれど、これ以上過去を追求しても私は幸せになれないから。

      一生懸命人のために生きて、来世こそ幸せな家庭で育ちたい。

      「生きてるだけでいい」と言われたい。98点でも、残りの2点を責めずに、殴られずに愛してもらえるような、そんな家庭に。

      今在籍しているクラスは少人数クラスで、一人一人の誕生日を祝っている。

      誰かが担当としてケーキを購入し、プレゼントを相談して用意する。

      皆の誕生日は、幸せな日だし、「おめでとう」と心から思える。そのためにお金を集めることに協力する事だって、嫌だと思ったことは無い。

      でも、自分の日はきっとそう思えない。私の誕生日は来年だから、まだ先のことだけれど。

      「産むんじゃなかった」「お前のせいで私は不幸だ」「死んで償え」「失敗作」

      そんな風にののしる母の声が、頭にこびりついて離れない。

      私が生まれたせいで不幸になった人の数は、私が幸せにしたであろう人よりも多いだろう。

      「おめでとう」なんて言われたら、私はどうすればいいのだろう。祝われたくない、でもこんなこと言えない。

      良心で祝っている皆を傷つけたくない。

      やはり、生きるのは難しい。いつか、私が私の誕生日を祝えるような、そんな日は来るのだろうか。

      この書き込みが、誰かを不快にさせたら申し訳ないと思う。普段書き込むことはほぼないけれど、今の気持ちを書き記したくなった。

      未成年のぼやきとして、どうか多めに見てほしい。

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