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みんあ参加者
案外人って、嫌いなものを見つけて、それを恨むことで鬱憤を晴らして生きているんじゃないかと思い始めた。
別に、直接その人に何かをする、というわけではないけど。
嫌いな人を避けたり、陰口を言うことは、起こってほしくないけど、当たり前に起こっていることなんだ。
多分、どんな聖人や思想家だって、何かを嫌うことで生きてこれたんじゃないか?
聖人なら、自らの罪を呪って贖罪に生きる。思想家なら、現在の腐敗した政府を恨んで革命を起こす。
そうやって、『ストレスもなく』生きているんじゃないだろうか。私も、つい昨日までそうしていた。
「絶対悪」だと、胸を張って言える人と、その取り巻きを嫌って生きていた。でも、取り巻きはとっくにその女と絶交していて、「絶対悪」だと思っていたあいつは、今、孤独なんだと知った。
「ざまあみろ」と誰にも聞こえないようにつぶやいてみたけど、やっぱりなにか違う。
あいつだけを恨むことで生きてこられたのに。他を傷つけずに来れたのに。
人を恨めなくなった私は、どう生きればいいの? -
みんあ参加者
今、すごく腹が立っている。嫌いだったあいつが苦しんでいるのに、それを喜べないことに。
なにより、「私は人を恨むことで、朗らかに生きてきた」のだと、思い知らされたような気がして、すごく嫌だ。私は、間違ってない。「絶対悪」を憎むことで、他の人を傷つけずに済んだんだ。
そう思っても、どうしても自分を正当化できない。あの子を嫌って、それがあの子を孤独にしたのかと思うと、たまらない。
悪を懲らしめるのに、自分が悪になっては意味がないのに。
私を苦しめた子が苦しんでいる今、あの子にどう接したらいいの? -
みんあ参加者
なんで、なんでだ。
いっぱい傷ついてきたなら、傷つけられる側の気持ちだって、理解できたはずだ。
なのに、「悪には何をしてもいい」なんて、どうしてそんなこと思ってしまったんだ。確かに、あの子は許されないことをした。
でも、私は?あの子を憎んでいる中で、あの子を不必要に追い詰めることはなかっただろうか。
なかった。そう言いたい。自分を守りたい。
私は、攻撃も復讐もしたくはないんだ。
今までも、顔を合わせないようにしたりとか、陰口とか、「あの子には気をつけるように」ってことぐらいしか言ってない。
私はあの子を追い詰めてなんかいない。なら なぜ今 こんなにも 胸がざわついているのだろう。
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みんあ参加者
取り巻きの子たちと、仲良くなった。
私はもともと、本人以外は嫌うつもりはなかった。ただ、あの子と仲がいい人とは関わりづらかったから今まで避けていた。
絶交したとわかって、もとから気が合ってた子とは復縁した。
でも、元取り巻きの子たちは、私のことを「友達であり、同じ敵を持つ同士」みたいに思っているみたいだ。なにか違う。今の私は、そんなのじゃない。
そう思っても、あの子を嫌ってた頃の生きやすさが懐かしくて、みんなと陰口を言う。
違うのに。私は、あの子のことで不快な思いをしなくていいなら、それでよかったはずなのに。 -
リビングデット参加者
私も自分の方が敵対者よりも有利になると相手に慈悲をかけたくなります
誰もひとりぼっちにさせない事がみんあさんの中の正義だったり
もしくは
集団の中で誰か1人が迫害される残酷な光景を見たくないとか
そんな気持ちも働いてるのかもしれませんね -
みんあ参加者
リビデさん、おはようございます。気づくのが遅れてすみません・・・
確かに、私としては、誰かを嫌うことはしても、いじめはしたくないです。
ひとりぼっちが本当に寂しいって、知ってるから。
嫌われて然るべき人はいても、いじめられていい人なんていない。
もし、孤独の中にあの子がいるなら、助けてあげたい。それで和解できたら、それが一番いいです。
今日も学校であの子に会うから、一度ちゃんと話してみよう。ありがとうございます。リビデさんのおかげで自分の考えがまとまってきました。
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リビングデット参加者
みんちゃん おはよ
私は悪い意味で大人でズルいので
(嫌な奴は嫌な奴でそう簡単には変わらないとか思ってる)話しかけたら嫌な思いをしそうだから私だったら経過を見守っちゃうけど
「一度ちゃんと話してみよう」って思えるのは良い意味で未成年らしくて眩しいっすがっこいってら(・ω・)ノ
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