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匿名無効
アダムとイブは同時につくられたわけではなく、神様はまずアダムをつくりました。そしてご自身がつくったほかのあらゆるものを見せて、その一つひとつに名前を付けさせました。アダムはその仕事を見事にやってのけましたが、ほかの動物にはみんな仲間がいて助け合って生きているのに、自分だけ仲間がいないことを寂しく感じました。
そこで神様は「人がひとりでいるのは良くない」と言って、アダムを深い眠りに落とし、あばら骨を1本とると、その骨からイブをつくりました。
「人がひとりでいるのは良くない」って、現代にまで通じる真理ではないかと思います。寂しいときや困ったときに助けを求めること。これは決して「弱いこと」でも「情けないこと」でもなくて、人間として当たり前のことなんです。
人間は「助け手」と一緒に生きていくように神様につくられているということです。
さて、アダムとイブはこうして生まれ、苦労も憂いもない「エデンの園」という楽園で何不自由なく暮らしていました。
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匿名無効
彼らに課せられたルールはたった一つ。「この園の中央にある樹からは実を食べてはいけない。食べたら死んでしまうよ」だけでした。
しかし悪魔の化身である蛇がイブをそそのかしました。「この実を食べると死んでしまうと神様が言ったそうですが、死にはしませんよ」「むしろこの実を食べると賢くなって、神様のようになれますよ」と言葉巧みに誘惑し、最初は拒んでいたイブもついにこの実を口にしてしまいます。
そしてイブに勧められたアダムも、この実を食べてしまったのです。
すると、二人は急に自分たちが裸であることを恥ずかしく思いはじめ、イチジクの葉で腰巻きを作って身につけました。
「羞恥心」はこのように、「罪=神様のコントロールから外れること」によって生まれたのです。人は本来、人の目を気にして生きるようにはつくられていませんでした。だってほかの動物を見回してみても、人間以外には他者の目を気にして羞恥心を抱く動物はいないでしょう?
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匿名無効
そして二人は神様の目をも避けました。約束を破ってしまった自分たちが後ろめたかったんです。
しかし当然神様に見つかり、「君たちは食べちゃいけないと言ったのに、あの実を食べてしまったんだね?」と問いつめられました。
するとアダムは「イブが勧めたから食べたんです」と、イブは「蛇が勧めたから食べたんです」と、お互いに責任転嫁を始めました。
自分の非を認めずに人に責任を押し付けるというのは私たちの社会でもよくあることですが、これも「罪」から来る行いなんです。
もちろん、そんな言い訳が神様に通じるわけもなく、二人はエデンの園から追放されてしまいました。さらに神様は、アダムには「食べるためには汗を流して働かねばならない」、イブには「子どもを産むには苦しまなくてはならない」という罰も与えました。
そして何よりの罰は「いつか必ず死ななくてはならない」ということでした。
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