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#39538
みんあ
参加者

 小さい頃から、死ぬのが本当に嫌だった。永遠とも言える時間の中で、私が死んだあとの世界が見られないことが、耐えられなかった。
 はじめに夢見たのは、不老不死だった。みんなが永遠の命を手に入れれば、この世界で、友達や家族と、ずっと一緒にいられる・・・当時流行っていた、スタップ細胞の「若返り」を勘違いしていたのもあって、みんなで、地球が終わるその日まで一緒に過ごせる・・・幼い私は、そんな理想のもとで生きていた。
 その後、不老不死なんて無いのだと知った、私が次に思いついたのは、私の代わりに、永遠に世界に残るものを作ることだった。何百年も語り枯れる偉人のように、2000年前のたった一度の復活がいまだに多くの人を救っているイエスのように、私が存在したことをこの世界に残し、誰もが私のことを知っている・・・平たく言えば、有名になって、人に忘れられなければいいと思ったのだ。そうすれば、私の代わりにそれが、この世界の終わりまでずっと生き続けてくれる。
 しかし、それすらも幻想だと知った。
 そして、私は生きる理由を見失った。
 いつかすべてが消えるこの世界で、一体何に縋って生きればいいのか。積み上げた何もかもすべて消えて、仮に残っても自分ではそれがわからない。そんな虚しすぎる世界で、いつまでも生きていられる気がしなかった。

 長生きしたくないのは、年下が苦手だったからでもあった。私の家族や親戚の中に、年下がおらず、小学校のときに初めて後輩というものができたときには、ひどく狼狽したものだ。後輩ができるようになって9年が経とうとしている今でも、まだ慣れない。先輩や年上に頼るのは好きだし、得意だが、頼られるのはどうしても無理だった。
 いつか職に就いて、後輩や部下ができたり、もしかしたら結婚して子供も・・・考えられなかった。自分より頼りないものに、私が縋りつけないものが増え、そればかりで周りが埋め尽くされるのが、どうしても嫌だった。
 だから、30歳で死のうと思った。若い間の、楽しいばかりの時代を味わうだけ味わって、年下が増えるより先に、逃げる。そうしようと、そうしなければとさえ思っている。

 私の人生は、死生観について常に考えている人生だった。