-
投稿者投稿
-
-
みんあ参加者
今日は月曜日。
普通なら仕事や学校で大忙しの日。
にも関わらず、私は体育祭の振替休日で休みである。
みんな頑張ってるのに、私だけずるいな。
「体育祭がんばったんだから」って自分を正当化しようとしても、うまく行かない。
課題やって、アマプラで映画見て、今日私何かいいことしたかな・・・ -
みんあ参加者
みんな、私の何倍もがんばってます!
あれ、私が0だから、倍じゃおかしいか・・・プラス100です!💯です!
明日も平日!私も学校!休み休みがんばろう! -
みんあ参加者
ほんと、私なにもがんばってないよ。
唯一がんばりどきだった部活も蹴ったし。
今日一日、日の光すら浴びてない。みんなはえらいな・・・
-
みんあ参加者
ああ。だめだ。
一日太陽拝んでないと、変なこと言いそうになる。ギャグとか、特に面白くもないのに、どんどん頭に浮かんでは消える。
こんな馬鹿なこと考えてないで、さっさとやらなくちゃならないことがあるのに。だめだ。なんにもできない。
-
みんあ参加者
私、遭難とかしたら、真っ先にだめになるタイプだな・・・一人だったら、なおさら。
誰かを励ましたり、一緒に泣いたりして初めて、「自分も頑張らなくちゃ」って思うから、誰もいない、励ますことも励まされることもないところで頑張れる気がしない。 -
みんあ参加者
そういう意味では、私が誰かに優しくするのって、偽善だったのかな。
その人を励まして、抱きしめているように見せて、それは自分に言っていて、抱きしめたときにその人が抱き返してくれるのがうれしいんだ。最低だ、私って。
-
みんあ参加者
それでも、また私は、誰かが傷ついているのを見ると、自分のことを棚に上げてその人に駆け寄るんだろうな。
誰かを救うことが、私の救いになるから。
きっと、言うほどかっこいいことじゃない。でも
そのくらいの救いは、許されたいな。
宗教家だって、そうでなくたって、救われるために生きてきたんだろうに -
みんあ参加者
私は、いわゆる「天国」を信じている。
無宗教だから、なんとも言いようがないが、なんとなく「天国はこんな場所」というイメージが、誰かに言われたわけでもないのに頭の中にある。私の天国は、草原だ。高原、といったほうが正しいかもしれない。標高は高そうで、四方を高い岩山が囲っている。
背の低い木や草が生い茂り、木でできた質素な私の家が一つ。そうして、この場所には動物はいても、私以外の人はいない。
少し離れたところには小川が流れていて、そこで遊ぶこともできる。深さはそんなになく、流れも穏やかだ。
晴れた日は、朝日とともに起きて、夕日を眺め、夜空の星を見上げながら眠りにつく。
小鳥や犬とたわむれ、そうして、私は笑っている。そんな場所。私らしくもない、孤独な世界。
でも、それでいいのだ。
誰か他の人がいるときの私ほどいじらしいものはない。本気で心配しながら、一息ついたあとで「自分のためだ」と気づいて悲しくなる。
それよりは、ずっと。天国に生きたい。
-
みんあ参加者
行ったことはないけど、阿蘇高原みたいな感じ。あれがイメージとしてはピッタリ。
なんで行ったこともないのに、こんなに鮮明に感じられるんだろうか・・・
-
みんあ参加者
どうしても、死後に天国があるって思えない。
天国は、別の世界のようで、この世界のどこかにあるんじゃないかって、ずっと思っている -
リビングデット参加者
(みんな頑張ってはない..みんなではないんだよ….
少なくともここに1人だけまったく頑張らない誓いを掲げた伝説の勇者がいます)
-
-
投稿者投稿